ブーランジェ・稲垣信也のパン物語 その弐

19/01/19

前回に引き続き、パリ在住のブーランジェ・稲垣信也さんのお話を。

2000年、ノルマンディー地方の「バルバリー農園」内にあるパン工房を皮切りに、約3年で15軒以上の農家を渡り歩いた信也さん。「渡り歩く」と、一言で言ってしまえばたった4文字だけれど、各地で出会った人々と過ごしたこの時間にこそ、今の信也さんのパンづくりの根源がある。だからこそ、どんな人々と、どんな場所で、どんな生活をしていたのかを少しだけ詳細に紹介する。もし私がいち読者だったら、きっとその様子を知りたいと思うから。

 

信也さんの旅の目的は明確だった。各地のパン焼き名人を訪ね、その土地ならではのパンづくりを教わること。料理人がつくる一皿には、プロだからこその美味しさがあるが、地元の食材をいかし、日々の食卓を支え、人々の健康を守ってきたのは一般家庭で引き継がれてきた味だ。信也さんは「フランスの人々のくらしの中でのパン」を感じたいという想いを胸に、パンを巡る旅に出た。

バルバリー農園内にあるパン工房「シャント・ラ・ヴィ」≪1軒目:こちらについては前回の記事をご参照ください≫からスタートし、イーゼル県の山奥の村にあるビオの薪窯パン屋「パン・ベルトンヌ」≪2軒目≫を経て、南フランスへ。ベジエという街から山奥へ入り、イブさんとテレーズさんが営む羊農家に滞在した≪3軒目≫。ここは食肉用の羊農家でターブル・ドット(※1)も営んでいたため、羊の世話をしながら、ターブル・ドットの料理やパンづくり、薪運びからペンキ塗りまで、あらゆる手伝いをしながら共に暮らした。

≪4軒目≫は、ジェラールさんとジュニエーヴさんが営むアルビ近郊の蜂蜜農家へ。採蜜など養蜂家の繁忙期は春から秋。信也さんが訪れたのは冬であったため、蜂蜜を使ったマスタードなど加工品づくりを手伝った。上の3枚の写真はここでのパン焼きの様子。製粉機も窯もあり、パンがここでの暮らしの日々の糧であることが写真からも見てとれる。勿論、ここでもパンを焼いた。

パン修行と聞くと、普通はパン屋を訪ね、パン職人の元でパンづくりを学ぶことを想像するだろう。ところが、信也さんは「農家パン屋」だけではなく、様々な農家の暮らしを体験し、日常のパンに触れながら日々を過ごすことで、その在り方や本質を学ぶことを選んだのだ。

その後、アヴェロン県のサン・アフリック町近くに向かい、ビオの野菜と小麦を育てる農家パン屋・ジャックさん(上の写真はジャックさん宅)を訪ねた。≪5軒目≫この辺りでは「伝説のパン屋」といわれる人物だというジャックさんは、村から外れた山あいの古い家に家族と動物と暮らし、バイオダイナミック農法(※2)を意識しながら、オーガニックの古代麦のみを育て、自ら製粉し、パンを焼き、マルシェで販売していた。「自然と生きる」という思想を大切にし、自然が持つ力についてよく話してくれたという。

古代麦の育成にも力をいれており、自ら収穫した小麦の中から、次の年の種蒔きに使う小麦の選別も行っていた。自宅には古い農業機械と昔ながらの脱穀機が数多くあり、育てた数種類の麦を混ぜて挽き、パンにしていたそう。「パン生地をクロスしながら包むように成形する独特のスタイルでした。全て神や大地からの恵みだという、自然界からの思想がパンづくりの根底にもあったと思います。」と、信也さん。ジャックさんの栄養と健康に関する生活知識や農業・パンづくりは、当時から多くの人に関心を持たれていたそうだ。信也さんも、その生活から少なからず影響を受けたことだろう。

 

≪6軒目≫の農家・二コラさんの畑はバイヨンヌ近郊。牛豚鶏を飼い糞を肥料にし、馬で畑を耕す農家だった。ここにも大きな薪窯があり、パンを焼いた。その後、仏伊国境にあるマントンに立ち寄り≪7軒目≫、アルザスへ。ミュルーズ近くの木材農家・パスカルさんの元で7か月を過ごした。≪8軒目≫ たくさんの動物と人間が共に暮らし、動物への餌やりとパンづくりが信也さんの仕事だった。ドイツの山での木の伐り出しに同行したり、同氏が営む木工業や自然学校の手伝いをすることもあったという。薪窯を使い焼いたパンは好評で、パスカルさんの妹さんが勤める会社から妹さんが注文を取ってきて、パンを焼いたりもしていたというから面白い。

↑ニコラさんの家にある薪窯とパートナーである馬

さてまだ旅のお話は折り返し地点ですが、今日はここまで。パンの本来の在り方は人間の元来の暮らし方と結びついているのだと、信也さんの体験を通し改めて感じずにはいられない。信也さんが共有してくれた、現像した昔の写真を写した写真はどれも、パンと共に過ごす人々の日常を穏やかに切り取ったものばかりで、なぜだか私まで懐かしい気持ちになる。

人間は様々な技術を手に入れ、くらしを便利で豊かなものにしてきたが、そのあまりにも早い時間の流れの中で大切な何かを置き去りにしてきてしまったのではないか。私たちは本当の意味で「進化」出来ているのだろうか。今、この写真の原風景のようなくらしをする人たちは果たしてどれくらいいるのだろうか。

日本では10年ほど前から頻繁に「パンブーム」という言葉を耳にするが、私はその言葉にむず痒さを覚える。ブームという言葉で括るのは簡単だが、日本のパンは歴史は浅いながらも独自の文化になりつつあると思うからだ。それでも、ヨーロッパの農家パン屋を見ると、同じパンでありながらその性質の違いを認めざるを得ない。極東の小さな島に住むパンラバーの私にとって、異国の農家パン屋より、身近なのは柔らかな食パンが並ぶ街のパン屋だ。

それでも、パンの始まりは「生活の糧」であるということを常に忘れずにいたいと思う。信也さんのパンの物語はまた次回。

 

 

※1 ターブル・ドット Table d’hoteとは、フランス語で「家族的なもてなし方」の意。家の主人が料理を作り、家族と客とで大きなテーブルで食事をしながらもてなす。

※2 バイオダイナミック農法 ビオディナミ、シュタイナー農法ともいう。哲学者・思想家であるルドルフ・シュタイナーによって提唱された有機農法・自然農法の一種で、循環型の農業のこと。土壌と植物、動物の相互作用だけでなく、様々な天体の作用を農作物の生育に生かすことを目指す。