広島県広島市。赤い看板が目印の「街のパン屋さん」があった場所が、今の「ドリアン 堀越工房」だ。おじいさんの代からここでパン屋を営んできた。「パン屋になるつもりはなかった」と、言う田村さんはモンゴルで働いていたが、両親と良心に引き寄せられるように跡を継いだ。
私が初めて食べた田村さんのパンは、8年ほど前に友人からもらったドライフルーツの入ったパンだった。その香ばしさと重みは今でも忘れられない。次に食べた時には、同じパン屋さんなのに、それは ‘別のパン’ になっていた。このパンは素朴で力強く、噛むほどに香ばしかった。華やかさはないけれど、食卓を骨太に支える身体をつくるパン…そんな感じ。一体、田村さんのパンづくりに何が起こったのだろうか。
2012年、ヨーロッパでパンづくりを学び、現地で愛されるパン自体の素朴な美味しさに感動した田村さんは、帰国後、その熱い想いをパンとお店に込め大きな改革を行う。有機栽培の国産小麦粉を使い、最小限の材料でつくるシンプルなパンにこだわった。メニューはカンパーニュを基本とした数種類のパンに限定し、1人で効率よくパンを焼くことで、良い素材を使っても価格は据え置いた。
「ドリアン」は現在、堀越工房と八丁堀店の2店舗。すべてのパンは堀越工房でつくられる。田村さん1人でパンを焼くため、堀越工房は無人販売だ。店頭にはパンの入った箱と代金入れの籠、釣銭用のコイン入れが置かれている。お客さんは好みのパンを袋に入れ、代金を置いてかえるスタイルだ。お互いを信じているからこそ出来るこの光景に、田村さんとお客さんとの繋がりが見える。パン屋を継ぎたくなくてモンゴルまで行った田村さんだが、パン職人として、日本はもちろんヨーロッパのパン職人とも繋がった。全国からパンの注文が入り、見学依頼もひっきりなし。逃げ回った末に戻ったパン屋で、田村さんは今日も世界と繋がっている。