農家パン 弥栄窯 京都府

日々の糧を焼き、土地に根を下ろして暮らす

京都駅から車を走らせること約3時間。山を越え海辺を通り抜け辿り着いた山あいの集落。京都府丹後半島の弥栄町(やさかちょう)の来見谷(くるみだに)に、2017年初夏、パン屋が出来た。「弥栄窯(やさかがま)」と名付けられたこのパン屋、もちろんこの集落で唯一のパン屋だが、全国的にみても唯一無二のパン屋なのである。

「弥栄窯」は、ペイザン・ブーランジェ(農家パン屋)だ。農家として小麦を育て、石臼で麦を挽き、パンを焼くという最も原始的であり自然な形を理想とし目指している。築100年以上経つ三角屋根の古民家に入ると、驚くほど立派レンガ窯が目に飛び込んでくる。まるでこの場所を昔から見守っていたかのような神々しい存在感すらあるこの窯は、1000丁近くのレンガを使い作った手製の窯。この窯の主が、28歳の太田光軌(おおたこうき)さんだ。

光軌さんは、大学時代から総合格闘技のプロとして活躍していた。成績が伸び悩み進路を考えながらの就職活動中、東日本大震災が起きた。これが大きな転機となり、改めて「食べる」という人間の根源的な行為の大切さに気付き、卒業後、食の世界で学び始めることに。レストランで勤めた後、弥栄町にある「梅本農場」で1年半の農業研修を経て有機野菜づくりを学んだ。ある時、光軌さんは農場の一角で育てた麦をパンにしてみた。自作のロケットストーブと手作りオーブンで薪を使い、水と小麦で起こしたルヴァン種でパンを焼くうちに、本場フランスでパンづくりを学びたいと思うようになる。彼が思いを馳せたのは、パリの洗練されたブーランジェリではない。自然と共に暮らしながら日々の糧としてのパンを焼く「ペイザン・ブーランジェ(農家パン屋)」という生き方だった。

フランス修業の資金を稼ぐため、自らが焼いたパンを各所に送り、パンを食べて共感した人から寄付を集めた。皆の思いに後押しされ渡仏を実現した光軌さんは、フランスを中心にヨーロッパ各地をまわり、約10カ月で8軒の農家パン屋を渡り歩き「ペイザン・ブーランジェ」の在り方と哲学を全身で学んだ。

帰国後、弥栄町に戻り奥様である治恵さんと共に古民家で暮らし始めた。自分たちの力で改装できるところは自ら身体を動かし、工房をつくり、窯をつくり、暮らす場所を整えた。大きな窓からさす陽が気持ちの良い工房に、友人の木工作家に作ってもらったという木製の桶がある。この桶に、粉と水、そして種を入れ、毎日すべての生地を手捏ねする。生地にストレスをかけない最も自然な方法だ。発酵は自然まかせ。ミキサーもなければ温度管理の機械もないアナログな工房で、頼りになるのは自分の勘と経験だ。

私が工房にお邪魔したのは夏の盛り。工房は熱気で立ちくらみがしそうなほど暑かった。窯の扉が開き、朴訥でなんとも力強い「良い顔」のパン達が次々と現れた。発酵種の香りが部屋中に立ちこめる。口に運び噛みしめると、全身の感覚がいきいきと目を覚まし活動し始めるようだった。このパンは「食料」であり「糧」であるということを私自身の身体が本能的に認識したように思う。

「日本では小麦とパンが遠い」と、光軌さん。そのギャップや温度差をいかにへらして、毎日の糧としてのパンを届けていくかがこれからの課題だと話す。熟した麦の穂をいのししが食べ全滅した2017年。今は信頼できる農家さんの麦を自家製粉して使用しているが、「農家パン屋」として今後は小麦栽培もしっかりとしていきたいという思いがある。

「自分の住むところに誇りを持ち、土地のものを食べて生きるのが理想の暮らし。五感で伝えられるパンを焼きたい」。そう笑顔で話してくれた太田夫妻。食の在り方、仕事の在り方、環境問題、生きると言うこと、自然の中での人間という存在…。今私たち人間が抱えている様々な問題に正面から自分たちなりに向き合っている姿を見ていると、年齢と言う物差しだけでは計れない「人間力」とは何かを改めて考えさせられる。彼らの紡ぐ言葉には嘘いつわりが無く、どこまでも自然体。「弥栄窯」は、自らが惚れ込んだ土地の豊かさの中で、自然と共に生き、パンを焼き暮らす太田夫妻の生き方そのものだ。

さあ、皆さん、古くて新しい時代の幕開けです。

あなたも未来へつながる持続可能な暮らしを始めませんか。

農家パン 弥栄窯(ノウカパン ヤサカガマ)

住所:京都府京丹後市弥栄町野間
電話:090-2938-1019
営業時間:木:カナブンにて16時~/金・土:キコリ谷テラスにて/土:いととめにて16時~/日:渓床カフェにて9時~11時ごろ(4月-11月頃まで) ※工房や畑に興味のある方は工房でも木、金、土と販売可能。(店舗ではないため前日午前中までの予約必須) 配達や仕込みの作業の都合で、対応時間に限りがありますことご了承下さい。